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東日本大震災:復興に立ち上がる中小企業家の記録⑰岩手からの便り

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岩手県中小企業家同友会より滋賀県中小企業家同友会への便りを掲載します。

─件名
本日「けせん朝市」再開~「希望のこいのぼり」へのご協力、本当に有り難うございました。

─内容
 この度の「希望のこいのぼりプロジェクト」のお願いに沢山のご協力、お力添えを賜り心より御礼申し上げます。
 5月5日のこどもの日まで10日しかない中で、最終的には800匹を超えるこいのぼりが全国各地から岩手の地に到着しました。届き次第、5月1日の「けせん朝市陸前高田」のスタートに合わせて掲げはじめ、朝市会場には色取り取りの鮮やかなこいのぼりが舞いました。北海道同友会苫小牧支部では青年部が声がけに奔走してくださいました。また各地同友会でそれぞれに取り組んでくださいました。同友会から発信された情報は、被災地情報、PTAや生徒会、ラジオの生放送、ツイッターなど様々な情報網で広がり、中には高校生が生徒同士で声をかけて集めてくれたものや、5,613匹の掲揚ギネス記録を持つ群馬県館林市から、世界一の記録を作った貴重な30匹を分けてくださったものなど、「岩手の空に」という一人ひとりの思いが込められた贈り物でした。
 大切にくるまった包みの中には一筆ずつ丁寧にメッセージが込められていました。「H8.3.14生まれの長男の鯉のぼり。10年ほど三河の空を泳ぎました。ここ数年出番がありませんでしたが、岩手の空でまた元気に泳いでほしいと思います。復興を願っています・・・」「中学2年の息子の初節句で実家の両親が贈ってくれたものです。朝市“青空市場"が晴れますよう祈っております・・・」
 徳島からのご年配の方からの電話では「テレビの映像を見ていて、遠くの地からでも何か役に立ちたいと思っていたんです。30年以上も前のものですが、子どもたちのために・・・」最近のナイロン製の鮮やかなものではなく、木綿布をしっかり縫い込んだ、おそらく何世代に渡ってお世話になった鯉のぼりでした。どれもしわを伸ばして綺麗に畳んであり、粗雑なものは全くありません。一匹一匹に家族の物語があり、子どもの成長を願う想いがあり、まさに全国の皆さんそれぞれの人生そのものが映して見えて来る、生きたこいのぼりが贈られてきました。
 期間中毎日来る子ども達もいました。にっこにっこと笑顔を振りまきながら、しっぽを引っ張ったりまとわりついたり。男の子も女の子もなかなか帰ろうとしません。「来年はあの気仙川に1,000匹やりたいね」まだがれきの残る川を見下ろしながら話す、緑の法被を着た後ろ姿がありました。

 鯉の大群が泳ぐ朝市の会場には、様々な人が集ってきます。この2ヶ月、消息が分からなかった人の姿も見られました。
 5月5日こどもの日の朝、陸前高田で自動車整備業を営んでいた35歳の後継者、坂本さんの奥様が、朝市の会場に来てくださいました。「同友会で朝市をやるって聞いたので来てみました」。
 8人家族のうち、6人が流され、亡くなりました。残ったのは社長と、このお嫁さん一人。「神経が痛くて、病院でもわからないって言われているんです。どこでぶつけたのかさっぱり。薬を飲んでも電気治療をしてもだめなんです」と足を引きづりながら当時の様子をお話いただきました。
 「子どもたちと車に乗り込んで必死に逃げようと走り出しましたが、途中で津波にのまれ、もうだめだと思った瞬間、衝撃で気を失いました。誰かが助けてくれたんでしょう。目が覚めたときは病院のベッドの上でした。耳の奥に子ども達の叫ぶ声だけが残っていて、未だに離れません。でも、坂本が残してくれた社員がいます。彼は社員全員を逃がして、会社を守ろうと事務所に残っていたようです。発見されたときは靴を履いたまま、いつもと同じつなぎの整備服でした。
 彼が同友会に参加してからは、明らかに言葉が違っていました。行くたびに元気になって帰ってくる。横で見ていて、いい出会いがあって良かった、といつも思っていました。同友会ってそういう場所なんだと、出ていなくとも感じていました。
 彼も子ども達もいなくなってしまいましたが、彼が残してくれた社員がいます。社長と何とか再興していきたいので、これからもお世話になります。携帯は彼の番号をそのまま私が使っていますので、同友会の連絡はそのままで構いません」この間、こちらからひと言も話す間もなく、続けてお話いただきました。
 沢山のこいのぼりが泳ぐ下では、起きてしまった現実に引き戻される瞬間もあります。
それでも誰かに希望を語りたい、話したい。そうした思いで朝市を訪れる姿もあります。

 朝市には、5月1日~8日までの開催7日間で、2千人もの方々がおいでくださいましたが、実は開催までの準備は、直前まで大変な作業でした。オープン前日でもテントには冷蔵庫も販売するものも何もない。何も決まっていない状況でした。開催に漕ぎ着けたのは沢山の方々の支えでした。
 4月26日火曜日、北海道同友会釧根事務所から、31歳の事務局員がやってきました。
青森出身の栗谷秀実さんです。朝市開店のための特別支援で、5月2日までの1週間岩手同友会へ応援に来てくださいました。誰も知らない、水も出ない風呂も入れない被災地に1週間寝泊まりし、夜中は2時3時まで、朝は早くから金槌を持って奔走しました。日頃のネクタイ姿をオレンジ色の繋ぎ服に着替え、真っ黒になって全精力を傾けてくださいました。一週間で地元会員からも絶大な信頼を貰い、最後は「このまま気仙にいるんだろう」とみんなと涙で握手をする姿がありました。
 住工房森の音(有)美建工業の棟梁は、進んでいない状況を見て、日帰りだったはずの日程を切り替え、夜間照明を焚きながら着替えもせず2泊「同友ハウス」づくりをリードしてくださいました。応援に駆けつけた「素人」集団をまとめ、じっと我慢しながら私たちが自分たちで作業が出来るように、見守ってくださいました。
 地域の行政の方々もこの踏ん張りを見ていました。開店までたった数日で行政からも営業許可をいただきました。普段では不可能なことです。「何としても朝市をやるんでしょう?だったら間に合わせないと」全国のこいのぼりを陸前高田に泳がせる。地域に狼煙を上げる。その想いが全てを巻き込んでいきました。ほかにも、沢山の方々の数え切れないバックアップがあって、実現した試みとなりました。

 5月10日、次回からの土日定期開催へ向けた荷物整理に集まった同友会のメンバーは40名。例会でもこんなに人は集まりません。震災から一ヶ月ちょっとのとき、最初に声をあげた時は、実現さえ見えなかったのに、みんなが朝市を中心に集い始めた瞬間でした。
その後夜9時まで、朝9時から12時間に及ぶ気仙の展望を語る「例会」は笑い声の絶えない時間となりました。
 本日5月14日9時、朝市が再開しました。鍋釜、包丁の販売に並んぶ人、食料品や納豆の無料提供に並ぶ300人を超える列。人が途絶えることがありません。もう一回限りのイベントではありません。地域の生活に根ざした、地域になくてはならない朝市になりつつあります。これも全国の「希望のこいのぼり」がくださった全国の支えてくださる力があってのことです。
 そろそろ自分たちでやろう!と声があがり始めました。来年再び沢山のこいのぼりが青空に舞う光景を夢見て、岩手は着実に、確実に復興へ向け歩み始めています。