滋賀県中小企業家同友会

支部活動について-東近江支部-

東近江支部3月例会「中小企業の採用のあり方」を開催しました

東近江支部 例会レポート


3月28日㈭18時半~21時に八日市ロイヤルホテルにて、東近江支部3月例会を開催いたしました。今回は「中小企業の採用のあり方」をテーマに、宮川草平さん(宮川バネ工業(株)代表取締役 ユニバーサル委員長)よりご報告をいただきました。会員・ゲスト合わせ34名が参加し、同友会運動と自社経営の変革を学び合いました。

(以下、宮川さんご報告要旨)

[自己・自社紹介]

弊社は1953年に私の祖父が大阪で創業し、滋賀に移転してきました。私は2014年に三代目として事業承継し、今年でちょうど事業承継から10年経ちます。弊社は労働環境の改善に特に力を入れており、2017年に滋賀県では3社目のユースエール認定を受けました。ユースエール認定とは若者の採用・育成に積極的で、若者の雇用管理の状況などが優良な中小企業を厚生労働大臣が認定する制度です。平均有給日数や平均残業時間数、新卒社員の定着率などいくつか条件がありますが、社員と一致団結して滋賀県としては早い時期に認定を受けました。ユースエール認定の他には、障がい者の雇用の促進が優良な中小事業主として、もにす認定もいただきました。新卒採用と障がい者雇用という点において、弊社は先進的な取り組みができていると感じています。

 

[事業承継]
私は現在45歳で、子供の頃から滋賀で育ち、大阪の大学を出た後に結婚し、農業や小売り店勤務などを経験して宮川バネに戻ってきました。「会社は三代目がつぶす」と言いますが、私がまさにそのボンクラ三代目です。今日はボンクラ三代目が同友会で学びを得て、どのように企業変革を行ってきたかをお伝えしたいと思います。

若い頃の私はとにかく働く意欲がなく、事業承継についても全く考えていませんでした。会社の状況も芳しくなく、リーマンショックの影響で売上が8億円から4億円にまで下がっていました。自己資本比率こそ50%あったものの利益率がとにかく低く、人材の退職が相次ぎ、3~40代の中堅社員の層がきわめて薄いような会社でした。組織体系としても複雑で、私もこんな会社は継げないと強く思っていましたし、先代社長もM&Aの道を模索していました。

会社の買取手が無事見つかり、デューデリジェンスなど手続きを進めていく最中、買取手の方から「宮川さんは本当にこの会社のことが好きなんですね」と言われたことが私の人生を大きく変えることとなりました。よくよく考えてみれば、私の祖父が創業したこの会社は創業60年になり、社員や取引先など多くの人の想いが詰まった存在であることに気が付きました。それから数カ月ほど悩みながらも、私は自分の意志で宮川バネの事業承継をすることを決意しました。2014年7月に事業承継を行い、宮川バネを未来に残していくために行動しました。

 

[経営指針成文化]

事業承継したと同時に、私は同友会に入会しました。私の最も優れているところは自分がボンクラ経営者だと自覚していることで、同友会で学んだことは全て自社で実践していきました。まず取り組んだのは経営指針の成文化でした。経営指針を創る会を受講し、「何のために経営をするのか」や「地域への姿勢」などOBOGから厳しい指摘をいただきながらも指針書を創り上げていきました。成文化した後には指針発表会も行いましたが、社員の反応はあまり良くありませんでした。経営指針を発表してから社員の不満が続々と爆発し始め、事業承継から2年で7人の社員が退職しました。経営指針が具体性や戦略性に欠ける内容で、社員が未来や希望を抱くことが出来なかったからだと思います。同友会の例会報告などで、指針発表会をしてもすぐには理解を得られないと知っていたので、あまり落ち込まずに10年かかるつもりで継続していきました。

[社員の声を聴く]

次に実施したのは社員との個人面談で、これも同友会の先輩から教えていただいたことでした。社長は絶対に反論しないことを大前提に、40人の社員全員と時間無制限で面談を行いました。10分ほどで終わる社員もいれば、長年のうらみつらみを何時間も話してくれる社員もいました。面談を通して分かったことは、会社としての軸が定まっていないばかりに社員それぞれの会社を良くしたいという思いが繋がらずバラバラに行動して、それが不満につながっているということでした。社長から社員に話す機会を持つために、月に一度の勉強会も開催していきました。月次決算の公開やハラスメントに対する学習などを行いました。

社員の声を聴くというところでは、2種類の社員満足度アンケートも取り続けています。一つは同友会の「滋賀いち」アンケートで、もうひとつは会外の社員満足度アンケートです。結果を見てみると、弊社の社員は休みや給料にあまり不満がなくて、社員共育に不満が集中していることが分かりました。社員からいただいた意見はひとつひとつ経営指針書に落とし込んでいき、少しずつ改善することで、社員満足度も高まっていきました。

[採用活動と経営戦略]

私が次に同友会で学んだのは採用活動です。同友会には新卒採用に取り組むことで企業変革を目指す、共同求人活動というものがあります。弊社は非常に良い労働環境が整っているということを武器に、ホワイト企業であることを前面に押し出した採用活動を続けていきました。これまでの努力の甲斐もあって、ほぼ毎年10人ほどのなかから1人か2人を選んで採用ができるという状況になり、SWOT分析に採用・定着が強いという部分が追加されました。人手不足が解消したことで、商売の方にも変化がありました。この頃の大手メーカーは無人化・機械化を推し進めており、人手が必要な仕事をどんどん外注していく流れになっていました。採用・定着が強みに変わった弊社は、これらの仕事をどんどん引き受けて売上を伸ばすことができました。「採用・人材共育を武器に、人手不足で行き場のない仕事を適正価格で受注する」これが弊社の経営戦略です。社員と対話の機会を持ち、内部と外部の環境分析を反映することで、初めて自社の経営指針が完成しました。現在では指針書をもとに各部門のリーダーが連携を取り、組織としても非常に強くなることができました。私も日常業務はほとんどノータッチになりました。

 

 

[同友会ってどういう会]

同友会には三つの理念があります。①三つの目的、②自主・民主・連帯の精神、③国民や地域と共に歩む中小企業です。同友会はこの理念の実現のために三つの活動を行う会です。

まず一つは経営指針の成文化です。これは経営者の思っていることを文章にして、社員と対等に話し合うベースを作るということです。経営者と社員は持っている情報の違いから、対等な話し合いが成り立ちません。経営指針書をもとに、社員と批判や議論を繰り返しながら指針書を毎年更新していくことで、初めて全社一丸経営となってよい会社を目指すための経営指針書になっていくわけです。

次に社員共育です。同友会の社員共育は、成文化した指針書を社員と一緒に実践していくことです。よく同友会で「指針書を発表したら社内が無茶苦茶になった」というような話を聞きますが、本当はそれが一番正しい道なのです。経営者と社員がお互いに考えていることをぶつけあって、自社の在り方や目指す先を真剣に考えることで初めて経営者と社員が共に学んでいくことができます。弊社の場合は、指針発表の後の個人面談が社員共育のスタートでした。個人面談で出た不満を、「私の指針書では全然共感されないんだ。伝わっていないんだ」と思いながら指針書に反映していきました。結局のところ、会社の利益の源泉とはビジネスモデルと社員のやる気です。社員教育で得られるスキルや人間性は大切ですが、所詮は利益を上げるための手段に過ぎません。指針経営によって経営者と社員が共に育ち合うことこそが会社を強くしてくれるのです。

最後は共同求人活動です。共同求人活動を平たく言うと、指針経営で創り上げてきた“よい会社”を地域にアピールすることです。共同求人活動では、新卒採用に取り組みながら「学生に選ばれる会社って何だろうな」を徹底的に考えていきます。そこから自社に足りないものを少しずつ企業変革で培っていって、外部に発信することで採用ができるというものです。共同求人は指針経営の実践と外部への発信力が問われる活動であるといえます。

同友会理念に基づいた三つ活動、①経営指針成文化、②社員共育、③共同求人活動を三位一体で行うことが同友会運動であると私は考えています。三位一体の活動はそれぞれがすべて繋がっていて、指針成文化だけとか、社員教育で研修にだけ出すとか、そういったつまみ食いでは意味がないです。

 

[まとめ]

10年間、愚直に同友会で学んできたことを自社に落とし込んできましたが、同友会の最も素晴らしいところは再現性があることです。よくあるセミナーの天才的な経営者の話と違って、同友会の活動は真似ができます。経営指針成文化も社員共育も共同求人もすべてが真似できます。私のようなボンクラでも、同友会の学びを実践し継続することで、本当に会社がよくなりました。宮川バネを未来に残していくためにも、地域のためにも、これからも同友会運動を続けていこうと思います。

 

2024年3月28日東近江支部3月例会でのご報告を基に事務局作成