滋賀県中小企業家同友会

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第46回定時総会および一般社団法人滋賀県中小企業家同友会総会を開催しました

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第46回定時総会および一般社団法人滋賀県中小企業家同友会総会を開催しました

本総会では、任意団体である滋賀県中小企業家同友会を解散し一般社団法人滋賀県中小企業家同友会へ事業および資産全てを移転させる決議を行いました。任意団体として最後の事業報告と決算報告が承認されたのち、規約に解散できる旨の規定を追加する議案が議決され、直ちに発効されました。それを受けて、蔭山大輔副代表理事より任意団体の解散と事業・資産の一般社団法人滋賀県中小企業家への移行が提案され、賛成多数で可決され、滋賀県中小企業家は解散・一般社団法人滋賀県中小企業家同友会の事業が開始されました。

一般社団法人滋賀県中小企業家同友会の総会では、理事人事の提案、事業方針および予算の提案があり、こちらも賛成多数で可決され、法人化1期目が無事、スタートしました。

 

第2部記念例会では、永井代表理事のあいさつの後、滋賀県知事の代理としてご臨席いただいた滋賀県商工観光労働部長である林毅様よりご挨拶をいただきました。

つづいて、滋賀同友会独自のアワードである「滋賀でいちばん大切にしたい会社」の2023年度受賞者として、宮川バネ工業株式会社代表取締役の宮川草平さんが紹介され、水野代表理事より認定証が授与されました。

さて、記念例会では、愛媛同友会代表理事でNPO法人家族支援フォーラム理事長の米田順哉さんより、
「学んだことは即実践!地域づくりのリーダーとしての自覚」というテーマで経営体験報告をいただきました。

NPO法人家族支援フォーラムは、愛媛県松山市にある身体・知的障がい者の生活支援や福祉サービスを目的とした法人です(社員数40名)。米田氏は2007年に愛媛同友会に入会され、現在は代表理事をお務めです。本講演では、同友会入会から今日に至るまでの、学びと経営実践について赤裸々にご報告いただきました。

1)同友会、幽霊会員時代(’07~’10年度)「斜に構えて学ぶ気無し」
米田氏は24歳の時に相次いでご両親を亡くされ、当時お勤めだった金融機関を退職し、ダウン症の弟さんの介護のため帰郷されます。そういう境遇にあって、障がい者やそのご家族の「困った」の解決を目指してNPO法人を立ち上げられました。その後愛媛同友会に入会され、例会等に参加されますが金融出身で経営に明るい氏は「それ知ってる」「それやっとる」と上から目線で、「経営指針成文化セミナー」を受講しても「誰が私に経営のノウハウを教えるというのか」とばかりに斜に構えておられました。

 

2)同友会ごっこ時代(’11~’13年度)「学ぶが実践なし」

当時、氏は本業である福祉業界にあって、多様性とは真逆の、人(職員)を見るときは「使えるか」「使えないか」という視点を持っておられました。そんな傲慢なご自身が故に、同友会では幽霊会員化しておられました。そんな折「松山第一支部」の幹事長に据えられます。「同友会理念の体系を学びたい」が、氏にとって理解のできない概念が飛び交っていました。

3)やっと実践時代(’14~’15年度)「痛い目に会ってやっと気づく」

’13年6月に創業以来の中心職員2名が離職。さらにこのことが原因で他の事務職員さんも離職されます。同友会の例会で思いがけず励まされた氏は、ここから一念発起され〝労使見解〟の実践を開始されます。残った職員さんに「絶対につぶさない」「自分で判断を。結果責任は問わない」と宣言されます。

組織改革することで情報の流れは良くなります。また、溜まった不満の言語化&見える化として、職員さんから意見を出してもらい、①すぐやる ②今はできない ③これはしない ④もう少し詳しく教えて 以上の4つに分けて全職員さんに回答され、職場に燻っていた[ブラックボックス]を解消されます。

職員さんに業務全般にわたって「自分ごと」にしてもらい、経営指針を職員さんと一緒に作り始めるようになり[社風の変革]を進められ、業績も良くなり始めます。

 

4)がっつり実践時代(’16年~現在)「問題を見える化し、不都合な真実と向き合う」

「(金融機関へ)経営者保証の免除」「10年ビジョン作成」「事業部計画のPDCA」「財務の見える化」「やりがいブラックからの脱却」「BCPの成文化」「人を生かす就業規則の成文化」の7つを実践し、働きがいがあり、働きやすい職場というイメージが浸透し始めます。経営者がガンガン引っ張る「機関車方式」ではなく、各部門、各職員が主導となる「モータのついた客車スタイル」に切り替えられ、現在のスタイルに到達されます。

まとめ

米田氏は「企業経営を義理と人情と浪速節で科学するのが同友会です」(鎌田哲雄元事務局長語録・故人)という言葉と「人は理念や方針では動きません、人間的な信頼関係で動く」という言葉で締め括られました。

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