滋賀県中小企業家同友会

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青年部7月例会のご報告~変わりたいなら今!!~本気で自分が変わるなら、会社は変わる~

青年部 委員会レポート

青年部7月ウエルカム例会のご報告

と き:2019年7月23日
ところ:クサツエストピアホテル
テーマ:変わりたいなら今!!~本気で自分が変わるなら、会社は変わる~
報告者:野村雅彦氏 Nomura Art Plant 代表(京都同友会)
参加者:86名

1.野村さんの経歴
野村さんは、京都市左京区一乗寺で、京友禅染めを得意とする野村染工場の孫として生まれました。
当時は、祖父から初孫ということでかわいがられ、工場の三代目として徹底して甘やかされて育ちました。
「とことんかわいがられ、自分が一番偉いんだと勘違いした、バカ息子として育ちました。」
19歳のときに家を飛び出しましたが、自立できず、2年後に実家に戻ります。お情けで工場に入りますが、「坊ちゃん気質」が抜けず、
家族からも職人からも愛想をつかされ、2ヶ月で放り出されます。
22歳のとき、ノムラアートプラントを立ち上げ独立されます。しかし、経営のノウハウもなく、自分が暮らすだけの収入を得ながら、細々と事業をされていました。

2.同友会へ入会するもすぐ休眠会員に
ある日、ゴルフ仲間だった経営者の先輩に経営を相談したところ、同友会へ入り学ぶよう勧められます。
野村さんは、経営を学ぶよりも、その先輩との関係をこじらせたくないために、同友会に入会。しばらくは例会などの行事に参加されますが、すぐに行かなくなりました。
「同友会に入会しましたが、当時の私は経営者ではありませんでした。伝統工芸をやっていて、商売人というか、自分のことしか考えていない営業マンだったと思います。自分の商品をたくさん買ってくれると思い込んでいましたから、例会に参加しても、内容が頭に入ってきませんでした。懇親会までいくのですが、誰も商品を買ってくれません。こっちはないお金と時間を費やして参加しているのに、ちょっとくらい買ってくれよ、ということで、同友会に行かなくなりました。」

3.同友会活動を再開
入会後10年間、例会に参加しない会員だった野村さんですが、事業規模の拡大にあわせて、社員を雇うことにしました。
しかし、1人目を採用しましたが、3ヶ月で辞めてしまったそうです。
今でも右腕として働いておられる社員さんを採用したとき、転機となる出来事がありました。
「彼がはじめての給料で、ご両親に御飯をご馳走するということでしたので、挨拶に行かせてもらいました。すると、私よりもふた周り年上のお父さんが、私の手を握って、『この子が死ぬまで、一生面倒みてやってください』とおっしゃいました。そのとき、私は、自分の人生すら一生面倒見られないほどの経営者としての覚悟のなさ、責任感のなさを痛感させられました。ただただ情けなくなり、自分のことがすごく嫌いになりました。自分の責任感のなさを心底嫌気がさすようになりました。」
「変わるなら今しかない、自分を含め、皆の一生を面倒見られるような会社にしていくしかない、私はそんな会社の社長をやりたい、と思うようになりました。」
しかし、変わろうと決心しても、どうしたらいいかわかりません。
「翌日、その彼と会ったのですが、その顔をみると、彼のご両親の顔が浮かんで見えるようになりました。どうにかしなくちゃいけないと思いました。未熟な私の仕事を、彼は一生懸命おぼえようとしています。その気持ちに応えたいのですが、どう応えたらいいのかわかりませんでした。そこで、藁をもすがる思いで、10年間行ってなかった同友会に行くようになりました。」

4.中野愛一郎さんとの出会い
同友会活動を再開した野村さんは、一生懸命、参加できる行事に参加しました。しかし、例会、懇親会に参加するだけでは、経営の本質的なところはわからなかったとおっしゃいます。
「例会に参加すると、勉強した気になるんです。でも、本質的なことはわかりませんでした。当時は、なんでこんなに一生懸命、行事に参加しているのかわかりませんでした」
同友会に参加するようになって2年目、野村さんは京都同友会青年部に入会されます。そのとき、中野愛一郎・中同協青年部連絡会代表と出会います。
「たまたま懇親会で席が隣だったんです。名刺交換をして挨拶すると、中野さんから『どういう経営課題でなやんでるの?』と聞かれました。『えっ』と思っていると、『社員さんはどうおもってるの?』『売上は?』『利益は?』と聞かれ、応えると『なんで?』と聞かれました。どんな返事をしたかは記憶にありませんが、話し終わり一人になったときに、『なんや、自分がなんのためにやっているとか、そのために何をしたらいいのかがわかるんだったら、仕事を社員に任せて、会社のお金でこんなところにきてへんわ』と思いました。そこでふと気づいたんです。『そうか、俺はそれをしりたくてここにきているのか』と。それで、青年部おもろいな、と思い、入部しました。」

5.経営指針を創る会(実践道場)での学び
青年部に入部したのと同時期に、京都同友会の経営指針を創る実践道場(滋賀では経営指針を創る会)に参加されます。
それまで、経営の勉強をされたことなかった野村さんは、夢中で参加され、自社の存在意義である経営理念を確立されます。
「経営理念を追求する会社であれば、一生をかけることができると思い、腹に落ちました。経営理念が腹に落ちたときが、自分自身と自社が変わりはじめる一番の転機でした。いまでも、経営理念を追求するお仕事をさせてもらっています。」