滋賀県中小企業家同友会

支部活動について-北近江支部-

12月23日北近江支部12月例会を開催しました~真の人間尊重経営を目指して ‐振り返れば順風満帆経営…今日までは~

北近江支部 例会レポート

北近江支部12月例会を開催しました

と き:2020年12月23日18:00~20:30
ところ:①ホテルサンルート彦根、②Zoomミーティングルーム
テーマ:~真の人間尊重経営を目指して ‐振り返れば順風満帆経営…今日までは~
報告者:田井勝実氏 滋賀ビジネスマシン株式会社代表取締役社長 滋賀同友会ユニバーサル委員長
参加者:25名
※滋賀同友会感染症予防ガイドライン(厚生労働省の基準に準拠)に基づき開催しております。

〇営業嫌いで技術を学ぶも35年間、営業一筋

滋賀ビジネスマシン株式会社は、1970年6月に設立、51年目の会社です。事務機器の販売と保守サービスで、社員は19名です。会社所在地は大津市瀬田月の輪です。もともとは電卓を販売する会社でしたが、その後コピー会社のパートナーとなり今に至ります。

創業者(義父)の思いは「最高の保守サービスを提供できるOA機器販売会社を目指す」こと。50年前の滋賀県には販売会社はありましたが、メンテナンスは京阪地区から来てもらっていました。それを変えたいという思いがあったそうです。

田井さんは1965年生まれの現在55歳。もともと営業が嫌いで、むりやり技術を学び、大手エンジニアリング会社に就職しました。しかし、仕事が過多でプレスメーカーに転職し、あれだけ嫌がっていた営業の仕事に携わるようになります。2003年、後継者として滋賀ビジネスマシン株式会社に入社。35年ばかり一番したくなかった営業の仕事を続けておられます。

田井さんが入社されたのは、バブル経済が終わって経済情勢が最下点を記録した1年後のことです。その時は経済情勢悪化のあおりがあり業績は落ち込んでいましたが、順調に回復されます。その後はリーマンショックがあり、若干業績が落ち込む時期もありましたが、現在に至るまで業績は右肩上がりを記録されています。

それについて田井さんは次のようにおっしゃいます。

「なにも私の経営手腕が良かったわけではありません。経済の状況にあわせて、自社の業績も上がってきただけです。多くの中小企業の経営者が`うちはここ10年右肩上がりだ‘、とおっしゃいますが、私の視点では’日本の経済が右肩上がりにだったのだから、普通じゃないの?‘という感想を持ちます。いま、コロナ禍のなかで本当の経営手腕が問われるのではないかと、戦々恐々としています。」

〇経営指針を創る会との出会い

田井さんが2003年に会社を承継して5年ほどたったころ、会社の中がばらばらだと感じるようになりました。小規模の部署なのに、大会社のように縦割りの業務管理になっていました。社是や理念があれば、社内がまとまるのではないかと考えていたところに、大津発條㈱の坪田さん(滋賀同友会副代表理事)から同友会の紹介を受けます。「経営理念を作ってくれる会がある」と思い込んで同友会に入会し、第25期経営指針を創る会を受講されます。そこで、「どうすれば会社がもっとよくなると思いますか?」と聞かれ、「あいつがもっと頑張って、あいつがいなくなったらよくなります」と答えていました。そうすると、OBOG団から「田井さんは求めることばかりですね」と言われ、「求めて何が悪い、求めるから変わるのではないか」と反論したそうです。まだ人間尊重ということも学んでいなかったので、聞かれることがちんぷんかんでしたが、半年くらい受講して経営理念を成文化し、社長就任と同時に経営指針を発表しました。しかし、その時は社員さんの反応は乏しかったそうです。

 

〇経営指針書の発表と全社的取り組み

その後、毎年経営指針を発表しましたが、何も変わりません。そこで、経営労働委員会顧問の高橋信二さん(社会福祉法人ひかり福祉会理事長)に相談しました。高橋さんからは、「発表だけしてたらあかんやろ」と指摘されました。そこで、田井さんは何かやろうとパートナー会社から知恵を借りて、会社を挙げての研修会を始めました。当初は、相手のいやなところを言い合う研修会や、相互理解をはかる研修をしていましたが、開催日を売り上げの締め日にしてしまい、社員からは非難囂々だったことも。しかし、開催日さえ配慮すれば社員の反応はよいことがわかり、年3回、土曜日に研修会を定期的に開催することになりました。

〇 人が輝く会社にむけて~紆余曲折の人間尊重経営~

田井さんが社長に就任した当時、仕事とは人のために仕事をして、その対価をもらっている。技術を切り売りしてお金をもらっているのだから、頑張るのが当たり前だと思っていました。会社でも、いい社員とは売り上げを一番上げる社員でした。しかし、同友会で人間尊重経営をまなび、自発性をもって働いてもらうことが大事だと思うようになりました。田井さんの会社の経営課題は、ほとんど人に起因することばかりでした。社風が他責、自分の利益優先になっていたのです。

他責にする傾向は、人間の本性からくるものだと思うようになり、そこは問わずに、「他責で考え自責で行動、他人を思いやる」ように工夫しているそうです。

田井さんが同友会に入会されたころ、先輩経営者から人間尊重経営には2つあると教わりました。一つは、「せっかく仲間になったのだから、できるようになるまで育てる」。二つ目は「うちの仕事には向かないが、きっと他で能力を発揮できる仕事があるはずだ」という考え方です。10年前の田井さんは、2つ目の考え方だけで経営をされていました。過去の経験では、何度言ってもわかってくれない社員さんに辞めてもらったり、他の社員さんから「なんであんな人を採用したんですか」と問い詰められることもありました。また、配属した社員への指導で、先輩社員ごとに言うことが異なり、何が正しいのかわからない状態になってしまい、他部署に変えたこともありました。社員の変化にいかに気づいていないかを思い知らされ、同友会の委員会活動や先輩方から懸命に学ばれたそうです。

そんなある日、また社員が辞めたいと言ってきました。口の悪い社員からきつく言われたそうです。田井さんは、その社員を育てる決意でかかわってきましたので、「君は辞めさせない、できるまではちゃんと俺が対応する」と言い、他の社員にもそう伝えました。そうすると「社長がそこまでいうなら、もう一度考えます」と、社員の反応が変わってきました。

そこで、田井さんは、人間尊重経営を社員に伝えてきたつもりだったのに、社員には伝わっていなかった、ということに気づきました。そして、伝え方・指示の出し方を工夫することで人は輝く、という気づきがありました。

最近では、新卒で採用した人が半年で退職してしまうことがあり、いまいちど社内で意見交流会を開いたところ、社員から「社長が無関心だ」ということ、また「共育マニュアル」がない、という指摘があったそうです。

それをうけて、社内研修で若者の価値観を学ぶ意見交換会や社員同士の連携にむけて外部講師を招いての研修を開くなどされています。

〇いそがず・あわてず・あきらめず

これまでの社長経験、また同友会の経営指針を創る会やユニバーサル委員会に継続して参加する中で、先輩経営者の皆さんがどんどんと先に進んでおられるのを見て、焦った時期もありましたが、改めて自分の特性を振り返った時、ふと目にした「いそがず・あわてず・あきらめず」というフレーズに心惹かれました。そして、それを座右の銘にされました。自分の現状がこうなのだから、他の経営者をみて焦らないようにしよう、と心がけるようになりました。

指針経営をやっていますかときかれると、やっているか自信がなく、また人間尊重経営してますかと聞かれても、どうかなと思われるそうですが、そこへむけて間違いなく努力していると田井さんはおっしゃいました。