第二分科会では、株式会社HORI建築 代表取締役 堀昌彦氏(京都同友会)より「地域からあてにされる企業~倒産危機から社員・協力会社と共に、地元から愛される企業に~」をテーマにご報告いただき、現地・Zoom合わせて30名が参加しました。
株式会社HORI建築は京都市福知山市を中心に「家族の幸福の城づくり」として、木の家専門店としての住宅の新築&リフォームを中心に事業展開をしておられます。「みんなが喜ぶ社会づくり」を経営の目的に、「生かされる家(すまい)づくり、3つのらしさ」 ①心と身体がともに健康になれる家づくり②入魂の施工で、日本一きれいな現場づくり③お客様と職人、会社の三位一体の家づくり、を念頭に会社一丸となって取り組まれています。
理念や仕組みをつくって来られたHORI建築ですが、最初はビル建築の施工管理業として創業されました。
堀社長は福知山市で大工の長男として誕生。幼少期の遊び場は製材所や工事現場、小中学校時代には仕事を手伝わされ、高校は建築科へと進学し、なんとなく跡を継ぐのかと思っておられました。卒業後はお父様のすすめもあり、ゼネコンへ就職されます。現場監督としての仕事が性にあっていると感じ、天職だと思うようになった堀社長。幼少から親の苦労を見ていた経験から、跡を継ぐという考えは次第になくなり、サラリーマンとして仕事を続けようと考えるようになりました。
しかし、お父さまが保証人になっていた叔父の工務店が倒産という出来事があり、お父さまの工務店も連鎖倒産。財産をすべて失い、心痛も重なりお父様は他界されることとなります。環境が一変し、運命・宿命が受け入れられず、思い悩み、福知山を出ていこうとも考えられましたが、現在の奥様の一言で起業を決意されます。そして1983年12月に堀二級建築事務所を施工管理業として創業され、1995年5月にはビル・公共建設の下請け専業の施工工業に変革されます。ところが元請け会社の倒産により2000万円の手形が紙切れに。この出来事により、場当たり的な経営をしていたこと、明確なビジョンが持てていないことに気付き、同友会に入会されます。
それまでは経営者のイメージが悪かったそうですが、同友会の例会に参加され、学び、討論する他の経営者の姿勢に、こんなにも社員さんのことを真剣に考えているのかとカルチャーショックを受け、そこからどんどん学び、実践されます。
まず経営指針づくりに取り組まれますが、最初は他の会社の指針書をもってきて、その名前を変えただけのものでした。無魂の経営指針では伝わらず、どうしたら伝わるかと考えられた結果、社員の写真などを盛り込み、社員さんひとり一人に向けた、ポケットサイズの「マイ経営指針書」を作成して配布することで社員さんに経営指針を自分ごとに感じてもらい、浸透していったそうです。
続いて、事業の将来性について真剣に考え、「お客様の顔の見える家づくり」を目指していた堀社長は「木の家専門店」、「健康増進住宅」を掲げ、お客様、社員と価値観の共有、元請けになるため、それまでのビル建設の下請けから、木造住宅をつくる会社へと業態変換を決断されます。この決断は社員さんからは猛反発。それでも揺らがず、対立しながらも最初にモデルハウスをつくり、1人で活動を始められます。すると、ゼネコンの仕事が少しずつ減り、建築の仕事が増えてきました。最初に反発していた社員さんも、次第に協力的になりました。
そして、社員さんは自分にとって都合の良い労働者、協力業者さんや職人さんは、元受け下請けの関係で従わせる人たちという考え方をしていたことに気付かれます。顧客目線の商品づくりに目が行き、社員目線の社内整備を後回しにした結果、そこに社員満足はなく、社員さんの自己犠牲で成り立っていたそうです。この経験から社員と目線を合わせるため、面談に取組まれます。最初は取り調べのような面談で、社員さんから本音もなかなか出なかったそうですが、本音を話してくれるようになるまで徹底的に時間をかけ、社内整備評価基準も見直し、大改革へ進まれます。
その中でも、明確で誰が行っても高い品質で仕事ができる業務フローの構築やIT化を進められます。2011年には「5年後に生き残れる職人群団」を掲げ、協力会社、職人さんに対しても勉強会を実施。人間力、職業地位を高めること、魅せる現場づくりを目指し、分かりやすい目標、魅せる現場掃除の標準化、ルールを決められました。
2021年には「北近畿で一番信頼のできる会社」というビジョンを掲げ、地域社会、お客様、社員、職人が一体となることで、お互いに顔の見える家づくりに取り組まれています。
最後に50周年に向け、あと4年で事業承継すること、社員数100名、売上30億円の達成を目標に、更に社員満足の実現に全力で取組むことを宣言されました。