滋賀県中小企業家同友会

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第2回アジア視察研修会5日目「援助・支援ではなく自立を! ここに本業を通じて東南アジア経済に貢献する道がある!」

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○第2回アジア視察研修会5日目「援助・支援ではなく自立を! ここに本業を通じて東南アジア経済に貢献する道がある!」

2013年9月12日(木)、プノンペンでの研修最終日はカンボジア情報サービス合資会社(Cambodia Joho Service inc)の社長、山崎幸恵さんが経営する「ニョニュムショップ」を訪問しました。
山崎さんをお訪ねしたのは、TBSテレビの「世界ふしぎ発見」で「日本・カンボジア 絆物語」(2013年05月25日(土)放映)に登場された山崎さんのお話を聴いたことから。「コンポンチュナンの陶器を伝統工芸としてブランド化し、農村部の女性が安定した暮らしが出来るように頑張っている日本の女性経営者にあって話を聴きたい」「コンポンチュナン焼きの象さんが欲しい!?」という廣瀬の強い要望から。お知り合いのCJCCの大野さん経由で訪問を打診したところ、快くお引き受けをしていただきました。ラッキー!

以下、山崎さんのお話要約です。
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子どもの頃から世の中で困っている人を「何とかしたい」と思っていました。短大を出たときに、母が「自由にしていいよ」と言ってくれ、日本語の教師を目指します。1年間講座に通い教師になって、青年海外協力隊が募集したカンボジアの日本語教師に合格しました。
1995年からカンボジアへ。当時はポルポトも生きていて、首相も第一首相、第2首相と二人いるなど、混沌とした時代でした。
カンボジアに来て一番に目に入ったのが子どもたちの笑顔。ステキな笑顔に「いい国だ」と実感しました。こういうことは、日本から見ていては絶対にわかりません。
ホームステイをしましたが、人々は内戦から抜け切れていない不安の中でカンボジア人としての自信もなく、常に混乱を抱えている状況でした。
観光省で日本語ガイドを養成する仕事に就きましたが、途中で病気になり日本で治療をすることに。病気が治っても「危険だからカンボジアはもうダメです」と言われましたが、何としてももう一度戻りたかった。1年間日本でバイトをして稼いだお金100万円を握りしめて、カンボジアに戻りました。

カンボジアで何をするのか?
どこに行っても働く場がありません。
23歳の頃でしたので、「だったら大学生になろう!」とカンボジア教育省に掛け合いましたが、留学の制度がありません。たまたま私にクメール後を教えてくれた先生が「首相に手紙を書いたらどうだ?」と、いま思えばとんでもないアドバイスを受け、真に受けて手紙を出しました。結局、そのことが教育省で話し合われ、「そこまで強く希望しているのなら」と無試験でプノンペン大学へ入学。これって、正面切っての裏口入学!?です。1996年から4年間カンボジアの人と一緒に勉強しました。
政府は第一首相(現 フンセン首相)側と第2首相側との内戦状態で、大学もいつ授業が始まるのか解らない。1998年に総選挙が行われ、フンセン首相率いる人民党が政権をとりましたが、1999年には大学の教職員さんが給料が安いとデモを行い、相変わらずの混乱。結局4年間で半分ほどしか授業がありませんでした。
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学生の時から現地の新聞をサマリーにして発行する仕事をしていたのですが、これが評判になり本業に。当時はe-mailが無かったので、FAXで何十社かにニュースを送る仕事をし、そこから通訳の仕事も入り出しました。皆さん、カンボジアの情報をほしがっていたのです。「カンボジアの情報を発信することはビジネスになる」と気づき、十年間毎日毎日続けました。
2000年からはフリーランスの通訳になりました。通訳にはマスメディアが相手にしない、でもとっても大切な情報が入ってきます。そういう情報を伝えたいと思い、ミニコミ誌「NyoNyum(ニョニュム=笑顔)」を2003年10月に創刊。ことしで10周年になる、カンボジアの生活文化、生活情報を提供するツールです。当初月刊誌でしたが、いまは2ヶ月に1回の発行で、カンボジアの生活情報誌として認知されるようになりました。
地方に行くと、いろんな人がものづくりをしています。手工芸品に興味がありましたが、売れていません。そこで、カンボジアの良いものを集めてアンテナショップを作ろうと始めたのが、こちらの「ニョニュムショップ」です。手工芸品の産地と、お客さんを繋ぎ、ブラッシュアップしてより良くしていくためです。
「こんなもん売れへん」と言う人々に「売れましたよ」と代金を持っていくと、「じゃあ、これもこれも」と次々に新しいものが出てきます。
私の入口は21歳の頃で、国際協力でした。でも、私の方がカンボジアの人々に教えてもらってきました。いまは援助とか支援ではなくて、私が経済活動の一助になりたいと思っています。経営をして、売上げを上げて、スタッフに給料を払い、利益も出して、税金を納める。会社として利益を出しながらカンボジアに貢献することです。私のことをソーシャルビジネスとかフェアトレードとか言う人がいますが、私は当たり前の商売をしているだけだと思っています。
カンボジアには日本の製造業が工場を出すようになりましたが、私はカンボジアの下の方、地方の暮らしの中から世の中を変えてゆきたいと思っています。
ニョニュムショップを始めたきっかけは、世界ふしぎ発見でも取り上げられたコンポチュナンの陶器と出会ったことです。2006年に栃木県の益子焼の皆さんが自治体のタイアップ事業で素焼きのコンポチュナン焼きを、釉薬を使い陶器にする窯を作りました。釜は出来たし、焼き物も出来る、でも技術指導と販売までは支が出来ないと言うのです。通訳をしていた私は、何とかして製品化しようと、日本財団の会長さんと掛け合って助成金をいただき、益子焼きの陶工さんにも常駐してもらって技術指導を受けました。そして、現地の素材で釉薬も作り、商品も出来ました。今年からブランド化して市場に出すところまで来ましたので、もう少しで自立しそうです。
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カンボジアの伝統工芸品が、市場に通用するように持ってゆきたいと思っています。良い物をつくれば、作る人々も誇りを持つことが出来ると思います。
日本の工芸技術を持って、カンボジアの人々が良いものを自分たちの手で創り上げ誇りを持つことが出来れば、日本人にとっても、それは大きな誇りとなるでしょう。

約1時間、山崎さんから大変に詳しく、また中身の濃い実践報告をしていただきました。そして、このあとさらなるサプライズが・・・。
はい、質疑応答のあとの名刺交換で、なんと視察メンバーの青柳さんが「幸恵ちゃんだよね~!」って、え~!実は山崎さんは青柳さんの大学時代のサークルの後輩だったのです。いやぁ。驚きです。そういうこともあって、私たちは一気に山崎さんとの距離が近くなりました。わたくしはコンポチュナン焼きの象さんをしっかり手に入れ、大満足でした。
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最後に私たちを送り出していただいた山崎さんの笑顔、最初にお出会いしたときの緊張した面もちとはうってかわって、とってもステキでした。
山崎さん、有り難うございました。
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カンボジアの人々に必要なものは何か?
支援や援助ではない、誇りであり、自立するための技術を身につけること、地域に根ざした、地域の課題を自分たちで解決する仕事作りであることが、大変に良くわかりました。
コンポチュナンのモデルを、多くの地域で広げ、多様に展開していくことは、グローバル化の中で選ばれる国作り一辺倒ではなく、ローカルに軸足を置き、循環型で、なおかつ世界に発信出来るカンボジアならではの文化的な産業育成へと広がるのではないでしょうか?
私たち中小企業が本業を通じて東南アジアに貢献すると言うことは、地域の人々が自立して暮らしを成り立たせていくために必要な知識や技術を伝えることを通じて、地域経済を元気にすることでしょう。
世界最適地生産をすすめる多国籍企業に付いていくことや、生産コストの削減、また最近では東南アジア地域の成長を日本に取り込むと言うような表現を良く耳にしますが、今回の視察を通じてその地域に軸足を置いた、人間を中心にした目線での海外ビジネスのあり方にも強く気づかされました。
同友会理念である「自主・民主・連帯」の精神、「生きる・暮らしを守る・人間らしく生きる」ための企業づくり、そのベースとなる人を生かす経営、労使見解の精神は、東南アジアとの共生的な経済連携をすすめる上でも大変に重要なことであると学ぶことが出来ました。

このあと視察団の一行は、昼食のあとロシアンマーケットを見物し、プノンペン空港発16時15分のアンコール航空にてシェムリアップへと向かいました。
シェムリアップへは観光ですか?
はい、もちろんそうではありますが、シェムリアップではさらなる学びが私たちを迎えてくれたのです。(廣瀬元行@滋賀同友会専務理事記)