滋賀県中小企業家同友会

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第7回アジア視察研修会ご報告③~成都は歴史と最先端技術と激辛の街でした

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○成都は歴史と最先端技術と激辛の街でした
成都に着いた10 月20 日(日)は、成都という町の散策です。
成都は、人口2400 万人ぐらいの大都市です。地下鉄も走り、電線は地中に、非常に整備された都市と感じました。
その市中で一番に目についたのは、乗り捨てOK のレンタル自転車の利用が非常に多い事です。数社連立しているようで、そこら中に自転車がおり捨てられている。成都市民のモラル向上が、この事業の成功のカギを握っているようにも見えました。スマホで会員登録し、支払も決済しています。

午前中1 か所目は、名所ということで黄龍渓に行きました。中国の四川省の成都から約45km に位置する歴史的な中国の町です。そこを流れる黄龍川にちなんで名付けられました。 町は1,700 年以上前に建てられ、曲がりくねった路地に沿って古代の石畳の通り、寺院、波止場や家屋など、素朴な魅力を保持するために復元されています。中国でよく言われる「模倣街」です。模倣街とは、古くみせかけて作った民家が並ぶ通りのことです。この模倣街を抜けると、噴水が現れます。噴水の向こうには、小さな遊園地もあります。遊園地とは逆の方向の石段を登れば、古鎮の核心的部分である正街に近づくのですが、ここでもう一度、驚愕。真ん中を小川が流れる模倣街がエンエンと続いています。ここまでやると、古鎮テーマパークです。当日は日曜日ということもあり、家族連れも多く、食べ歩きをしながら1 日ゆっくり楽しむようなところでした。
私たちは、四川名物と思われる踊りながら一本の麺を湯がいていく「一根麺」を食しました。お味は???でした。


午前2 か所目は、金沙遺跡博物館です。金沙遺跡は、2001 年2月8日、住宅開発に伴う下水道工事中に、発見されたものです。中国における21 世紀最初の考古学的大発見とされる遺跡です。その後の発掘調査により、基本確認部分でも5平方キロに及ぶ大型遺跡です。ここからはすでに金器200 余点・青銅器1200 余点・玉器2000 余点・石器1000 余点・漆木器10 余点の5000 点あまりと、陶器数万点・象牙1トン・動物骨片数千点が発掘されました。これらの調査などにより、ここは、BC1700〜1200 年(夏晩期〜商後期)の三星堆文化の後、BC1200〜500 年(商後期〜春秋)の十二橋文化(現在は十二橋・金沙文化と改称されました)の代表遺跡と解明されています。

その後に遅い昼食を取りました。郷土料理の四川料理。麻婆豆腐は絶品でした。

午後は、劉備玄徳を祀る「漢昭烈廟」です。武侯祠大街に面して「武侯祠」があります。正面入り口に「漢昭烈廟」の額が掲げられていて、これは劉備玄徳の霊廟という意味であり、劉備の諡号が昭烈なのです。「武侯祠」は諸葛亮孔明のことで、この場所には二人が同時に祀られています。
しかしながら「武侯祠」がこの地の名称であり、通りまで同名で呼ばれていることから分かるように、主君の劉備玄徳より諸葛亮孔明の祠として認識されているのです。
不思議な感じがしますが、実はもともとは劉備の霊廟だけでした。ところが成漢(後蜀とも称される国304年-347年)を建国した李雄により、現在の場所に諸葛亮孔明の霊を祀るため「武侯祠」を作ったのです。その後、劉備玄徳と諸葛亮孔明の二人を祀る霊廟として整備されたのは明朝の頃です。
前出師表は、諸葛孔明が魏の国へ遠征をする際に、劉備から受けた恩を劉禅(劉備の息子)に報いることを述べた文章です。これは、今での四川の学校で暗記することになっているそうです。前出師表とは、私にとってびっくりです。

「恵陵」とは劉備の墓とそのそばの竹林夕食は、ホテルの近くの火鍋屋さんに行きました。皆さん食べているモノを食べようとしたのですが、すぐに辛さで全員撃沈されました。

以上 1 日目の報告です。(記 前出博幸)