滋賀県中小企業家同友会

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第7回アジア視察研修会ご報告⑤~カトマンズ企業訪問編~

新産業委員会 その他活動







○地域に仕事を興し、女性の自立をめざす~Yamasho Private Limited~
カトマンズに到着した二日目の10 月24 日(木)。これから研究会のメインディッシュである企業訪問です。
午前9 時に宿泊ホテルの「Nepal Cottage Resort」へ、(株)クローバーの澤田さんよりご紹介いただいたカトマンズ日本語学院の スザン・バハドゥル・シュレスタ(Sujan Bahadur Shrestha)さんにお越しいただき、一日ご案内の労をお引き受けいただきました。

はじめに訪問させていただいたのは、「Yamasho Private Limited」。滋賀県長浜市に本社のある(株)山正(明治 28 年の創業、「伊吹もぐさ」を 120 年にわたり生産・販売。鍼灸院への灸ともぐさの販売では、約 50%の国内シェアを占める)の現地法人で、龍谷大学REC 滋賀の筒井コーディネーターよりご紹介をしていただきました。
工場では、現地法人社長の Ishwor Raj Barami 氏と、サイズ・ルペス氏((株)山正企画部 海外事業課所属 29 歳)にご案内をしていただきました。サイズ氏は長浜本社勤務で、バイオテック技術を学ぶために長浜バイオ大学へ留学中に、山正の押谷社長との出会いがあり26 歳で入社。日本語は完璧な方でした。

山正ではもぐさの原料となるヨモギを中国から輸入していましたが、現会長がネパールを訪問した際に、ヨモギが多く自生していることを知ります。またネパールでは人口の90%以上が農民であり、地域で働く場(特に女性の)を作ることが女性の自立を軸にした社会貢献となると考え、現地でのヨモギ採取ともぐさ加工を始めました。
法人は2015 年3 月に設立されましたが、翌4 月にはネパール地震が発生。その時には工場を近隣住民の避難所として開放すると共に、その後は被災者の雇用の場となることを目指すなど、事業性はもとより社会貢献への強い想いが込められていると感じました。
工場では年間16 トンのヨモギを採取し加工しています。ヨモギを乾燥⇒粉砕⇒不純物の除去を相当な回数の工程で行うので、原料から製品への歩留率は僅か8%と聞き驚きました。
そうして出来上がったもぐさを手作業で細巻きに加工して、すべて本社へ納めています。ネパール国内での販売は行っていません。

ネパールではヨモギは雑草として扱われていて、ハーブとして信用されていないこともあり、お灸は普及していません。そこで、業界として年に一度日本から鍼灸師を招いて(直近は9 人)、針とお灸は山正が提供し、ボランティアで鍼灸治療を行い(1 週間で1,200 人程施術)効果を広めることで、ネパール国内での普及を図っているそうです。
現在従業員は13 人。男性は社長のイソ氏+1 人。平均年齢は23 歳前後。男性は他国(中東など)への出稼ぎに出る人が多く、残った女性も地方では職がないのでカトマンズへ働きに来るのだそうです。
給料は13,000 ネパールルピー。日本の1/10 というところです。「Yamasho Private Limited」では政府の基準以上の賃金を保障し、出来高制です。1 日8 時間労働。それでも仕事に慣れるまで継続しない人も居て、人材の定着には少々苦労しているとか。

たまたま居合わせた田口麻希(あさき)さん(千葉県の麗澤大学3 年生)からも、お話を伺うことができました。
ネパールはインターンシップで訪問してから4 回目。現在は休学してホームステイ中。人と文化に魅力を感じて、完全にネパールにはまってしまったそうです。

慣れるまでは、バス停の看板が泣く、時刻表もないことに戸惑いますが、将来はここでの経験を生かして、ネパールの特産品を日本で販売してネパールに雇用を生み出したいと語っていました。
(記:廣瀬元行)

〇ブレイクタイムに世界遺産「スワヤンブナート」寺院を訪問
「Yamasho Private Limited」の訪問後、休憩を兼ねて世界遺産に登録されている「スワヤンブナート」寺院を訪ねました。

ここは「ネパール最古の仏教寺院」とされる歴史ある寺院で、1979 年世界遺産に登録されています。金色の仏塔に、仏陀の目が描かれ、タルチョと呼ばれる仏教で用いられる五色の祈祷旗が四方八方に伸ばされていました。仏塔の周りには「マニ車」があり、側面に経文が刻まれており、手で回転させた数だけ経を唱えるのと同じ功徳があるとされ、私もカラカラと車を回しましたから、きっと良いことがあるでしょう。
小高い丘の上に建つ「スワヤンブナート」の展望台からは、カトマンズの街を一望にすることができます。ここで訪問記念のショット。


特徴は、お猿さんが多いこと。至る所で、座る・登る・走る・ケンカする・餌を食らう傍若無人ぶりでした。
(記:廣瀬元行)

〇ネパール人材をもっと日本の企業に知ってほしい‼

次の訪問先は、「ススム国際言語トレーニングセンター」。こちらは大津でヒマラヤトレッキング・登山専門サパナと、ネパールで日本語学校の運営と人材を日本へ送り出すお手伝いをされている浅原明男さんの紹介でお伺いさせていただきました。
ご案内していただいたのは、校長で経営者のラリタ ラマさん。2005年から08年まで三重県の工場で技能実習生として働き、帰国後に結婚と出産を経て日本語能力をいかして学校を始めました。創業費用は、わずか15万ルピー(おおよそ15万円)と聞いて驚きました。
現在スタッフは7人で、うち先生は2人。生徒の年齢は18歳~35歳で、60人が日本に行くことを希望して学んでいます。
月謝は 2,000円/月で他校の5,000~7,000よりも安く設定。週6回1日4~6時間授業し、半年でN4 レベルになるそうです。
日本ではネパール人技能実習生のことが知られていないので、もっと知ってほしいと希望されていました。新しい制度の特定技能は技能試験をパスしないと日本に行けませんが、試験の詳細が決まっていないので、まだまだこれからだそうです。
ネパールには中国系企業の進出が進んでいて、そこで働くために中国語の人気が高いそうです。若者に人気の仕事は、工場勤務と介護職。男性は建設希望者も多く、農業は希望が少ないそうです。
特に人気があるのは観光業で、ガイドやホテルへの就職をめざしています。
いまはコックで働くビザをとってもコックをしない人が多いため、日本(特に東京出入国在留管理局)入国は厳しく制限されているとも。


このあと、授業風景を見学し、生徒さんとの意見交換を行いました。
(記:廣瀬元行)

○日本語教育の場から、日本で働く人材を育成し地域に産業と雇用を生み出す場へ
最後の訪問先は、ネパールでの日本語教育の草分けと言える「カトマンズ 日本語学院(KATHMANDU JAPANESE LANGUAGE INSTITUTE)」で、この日カトマンズをご案内いただいている、スザンさんが副校長の学校で、母校でもあります。
こちらでは、校長/副理事長のニルマニ ラル シュレスタさんと、スザンさん、理事の方お二人、そしてニルマニ校長の奥様(日本人)にご案内をいただき、意見交換を行いました。

カトマンズ日本語学院は、ネパールで日本語を学びたいと願う有志5 人が、日本語を教えてもらえる日本人(日本
大使館やJAICA 職員)の協力を得て1965年に設立されました。
現在、学院の教師は全員がこの学校の卒業生。成績が1位か2位の生徒が教師となることができ、まず2年間ボラ
ンティアで日本語を教え、その後教師として10年経つたら理事になるそうです。
教師は殆どがボランティアで、昼間には本業を持った人が朝7時からと夜5時から授業を担当してきたそうです
が、今は専任の教師もいるそうです。
20年前に日本人や卒業生の寄付で現在の建物を購入し、やっと落ち着いて教育ができるようになったそうで
す。この学院の卒業生の多くが、観光や旅行会社を経営しているとも。ちなみに、ニルマニ校長も、旅行業を経営されています。

このように、理事や教師が最低限の報酬(月5,000円程度)で殆どボランティアとして学院の経営を維持して
きたそうです。
これまでは、日本語を学んでネパールで活躍する人材の育成が目的でしたが、今は日本へ留学して就労するために日本語を学ぶ若者が多くなり、5~6年前から日本の学校へネパールからの留学生を紹介する事業も始めました。一般的な日本語学校は、生徒と日本の留学先両方から紹介料を取りますが、カトマンズ日本語学院は生徒からは紹介料を取っていません。あくまで、日本語教育の場なので、生徒は授業料のみの負担です。
授業期間も、当初は2年間でしたが、短期間で日本語を学びたいというニーズが増えているので、6ヶ月の短期コースも計画中だそうです。

現校長になってからは、学生が集まる雰囲気を作るために、地域の学校や日本の学生とも連携して、文化交流を行っ学院には峠三吉さんの原爆の詩も展示されていました。(本データは他のHP より)
ています。また、日本の文化であるひな祭りやお茶会を催すほか、広島の原爆の日にはパネル展示を行い、子供たちに日本のことを話し、子供たちから親へ日本の理解を広げる活動も行っているそうです。

意見交換で理事の方より発言(抜粋)
・ネパールは80%が農業従事者。毎日1500人が出稼ぎに出ている。ネパールには雇用がない。日系企業も入ってきていない。
・多くのネパール人が中東へ出て行く。政府は手を打たないので、われわれ民間が人材を育成しないといけない。地元で産業を興すために、日本で働き資金をネパールに持って帰ってほしい。日本で働いた姿勢をネパールで広めてほしい。若者には、自分自身の働く姿勢を持って伝えている
・ネパールの人材には可能性がたくさんある。ネパールは農業国なので、特定技能の人材としては農業が一番活躍できる。
・中東(ドバイ)では、お金を目的に働くだけ。日本は人間的なつきあいができ、きちんと働けば報われ、スキルを身に付けることができる。日本の大家族主義経営が理想。


歴史があり、多くの日本人や卒業生、ボランティア精神での教育活動に支えられてきたカトマンズ日本語学院。今後学院を維持発展させるために、留学生の送り出しや、特定技能による人材の送りダスを始めようとされています。副校長のスザンさんは千葉県の大学へ留学し、2003年にネパールへ帰り、通訳やガイドを経験。いまは千葉市に在住し、特定技能登録支援機関の会社「MNInternational(株)」を立ち上げ社長をされています。
学院の皆さんの日本語教育と人材育成、地域産業の育成にかける熱い思いに触れて、これからも繋がりを持ち続けさせてもらえればと感じました。
(記:廣瀬元行)