滋賀県中小企業家同友会

支部活動について-湖南支部-

湖南支部3月例会を開催しました

湖南支部 例会レポート

2019年3月19日湖南支部3月例会

とき:2019年3月19日18:15~20:30
場所:クサツエストピアホテル
参加:34名
テーマ:「社員を信頼し、任せる経営で会社を成長させる」 ~大切な人をあなたの会社で働かせることができますか?~
報告者:荒木 順平氏 ㈱エース産業機器 代表取締役

☆☆ご報告要旨☆☆

報告するときに必ずお聞きする質問があります。「大切な人を、あなたの会社で働かせることができますか?」。大切な人とは誰でしょうか?働かせることができる、と思われるかもしれませんが、今日の報告の終わりに、同じ質問をしますので、報告をお聞きください。

エース産業は、測定機械を扱っています。製造業のお困りごとを解決する、問題解決屋さんをしています。また、エース物産という別会社では、湖北産のお米だけを扱うお米屋さんもしています。

1977年、大阪で生まれました。父は電気機器大手に勤めていましたが、脱サラして、電器販売店を開きました。白色家電が飛ぶように売れた時代です。かなり儲かっていたと思います。忙しくしており、父が家にいるというイメージはありませんでした。そのうち、私が知らないうちに「荒木電子工業」という商号で製造業をはじめました。突然、引越しするといわれました。カメラのフラッシュの部品を作る仕事でした。

小学6年のときに引越しして、そこから高校3年生まで滋賀県で生活しました。大学は埼玉の大学へいきましたが、大学を卒業するときに、また新しい会社をつくる、といわれました。2001年に大学を卒業したのですが、そのとき私は海外に行きたくて、寝る間も惜しんでアルバイトをし、食事は素麺だけにしてお金を貯めました。そこへ、父から会社を作るからかえって来い、という連絡がありました。「留学するから無理」といって断っていましたが、母からも電話があり、母を安心させたくて、滋賀県に帰ってきました。2001年4月、創業に携わります。2年目に株式会社となり、3年目には黒字にすることできました。そこで、私は留学することにして、1年半、カナダへ行きました。日本に帰ってきて、他社で働いたことが無かったので、他社に勤めることにしました。

そのうち、母の病気が再発して、長男が荒木電子工業に入ることになり、私がエース産業を引き継ぐことになりました。海外へ行く前に、会社の状況はよい状況でした。しかし、私が戻ってみると、悪い状況になっていました。会社の営業所も汚い状態でしたし、儲からない会社になっていました。これはかなりてこ入れをしないといけないなと思いました。

そんな折、お客さんから同友会に誘われました。お客さんからのお誘いですから断れなかったということと、その当時、経営者といえば父しか知りませんでしたので、他の会社の社長をみてみたい、ということで、同友会に入会しました。

リーマンショックの影響で会社の状況がメチャクチャになっていました。リーマンショックの影響から抜け出すためにがむしゃらにやりましたが、そんななか、一緒に働いていた弟から「ついていけへん、やめさせてもらうわ」といわれました。

弟が辞めるとは思ってもいませんでした。弟が辞める会社になっていました。結果だけを見て、周りを見ていませんでした。お客さんばかりで、社員や取引先は、小さい存在としてみていました。自分ががんばらないといけない、と思ってやっていましたので、社員は私のサポートをさえしてくれたらいい、と思っていました私が主役だと思っていたのです。なので、「こんなこともやれんのか!」「言うたとおりにせえよ!」と弟などに平気で言っていました。それはただの暴言ではなくて、「お客さんのため」を思ってでた言葉です。

会社でともに働く唯一の身内である弟が辞めるという出来事から、売上至上主義をやめました。社員にとって、会社を辞めたら損だ、と思われる会社を作ろうと決心しました。

それで、それまでは形にしていなかった売上目標をたてるようになりました。自分なりに工夫してやり、2013年には売上が上がってきました。しかし、あるパート社員さんが退社することになります。その社員から言われたひと言が、非常にショックでした。入社して3年くらいたって、育児と仕事の両立が出来てきたと私なりに思っていましたが、ある日、辞めさせて欲しい、といわれました。生活が苦しい、子どもを育てていくのが大変、ということが理由でした。私の中では、充実した生活が出来ていると思っていましたので、体が震えるほどショックでした。

 

我流の年次目標を見返してみると、「○○UP」とか、「○○強化」など書いていますが、理念がありませんでした。また、社員さんにとって、「やらされ感」ばかりだったと思います。計画を勝手に自分でつくりましたが、自分が満足すればいい目標でしたので、社員のことも書かれていませんし、具体的にどうすればいいのかも書いてありません。目標も共有されていませんでした。お客さんばかりみていたからそういう目標になるのだと気づきました。

当時の会社は、船でたとえると、真っ暗闇の大海を漕いで、どこへ向かっているかわからない航海をしていました。私の判断で、右へ行ったり左に行ったりしていて、漂流船のようなもので、ただあてもなく、一生懸命漕いでいるといった感じでした。

なので、経営指針をつくらないといけない、どこへ向かっていくのか、どうやってそこへ行くのかを社員と共有しないといけない。みんな、幸せになるために会社にいるのだから、そういう会社にしなければならないと思いました。

経営指針を創る会を受講して経営指針書をつくって、少しずつできてくるようになって、プレイングマネージャーをやめ、社員にもっと任せよう、もっと信じようという心構えをつくりました。お金のこと、お客さんのことを社員に任せるようにしました。自分が担当するお客さんをなくすことから始めました。

経営指針書をつくっても、すぐにはうまく行きません。どうやったらうまくいくのかを考え続けました。その結果、次の4点にまとまりました。

① まず、やる

まずやる、すぐやる。つまり、まず任せること、まずまねをすることです。経営指針書づくりが良い、と聞いたら経営指針を創る会を受講して、経営指針書を発表した良いと聞いたら、ホテルで発表し、共有するようにしました。私たちは、関わる全ての人が幸せになるように、会社をつくっていこうとしています。具体的な目標も描いています。大切なことは、書いたことをまずやること。できるかどうかじゃなくて、やるかやらないかです。書いたことをやらないと、経営指針書も気の抜けたものになってしまいます。

② 振り返る

やったことを振り返ります。3年計画をつくり、各自年間目標シートをつくります。社員の年間目標を足していくと、会社の年間目標になるようにしています。計画を振り返り、コメントをしてもらっています。私もやりますし、社員もやります。毎月やります。定性的・定量的な目標をだして振り返り、やっていないことがあったらすぐやる。そうすると、お互いの達成度合いがわかります。

③ また、やる

計画に命を吹き込むためにまたやります。目標を立てると、防御の構えになってしまいます。計画をやり、修正しながらまたやります。やりぬくことが大事です。

④ 同友会で学ぶ

①~③をやっていくと、かなり良くなりますが、かなりエネルギーがかかります。そこで、同友会をうまく活用してやっています。参加し続けることが大事です。同友会の例会に参加してひとつだけ持ち帰るようにしています。たくさんもってかえっても、器用ではないので、やれません。たとえば、同友会で学んだことでは、改善提案箱や誕生日有給休暇制度をやりました。永年勤続表彰もやりましたし、退職金制度もつくりました。個人面接もやっています。社員がなにを考えているのかを知るため、また、自分の考えを伝えるために、毎月やっています。社員も、面談日のために準備をしています。面談を始めてから、退職者が減ったように思います。その他、「月間 共育ち」を使った研修もやっています。「PDCA」や「SWOT分析」などを、グループに分かれて取り組んでいます。いまとなっては、当たり前のようになってきていますが、そうなるまでが大事です。また、同友会の例会でなにか1つを持って帰ろう、自社に当てはめてやってみようと思うことが大事です。


お客さんも大事ですし、社員もしっかり見るようになりました。社員満足度が充足されれば、自ずとお客さん満足度も上がっていきます。

 

最後に、もう一度質問をします。大切な人をあなたの会社で働かせることができますか?

皆さんの会社で、血縁関係の無い社員さん1人を頭の中で思い浮かべてください。その人と、同じ条件で皆さんの大切な人を会社で働かせることができますか?大事な人を、社員と同じ条件、おなじ時間、おなじ条件で働かせることはできますか?

私も、2015年まではNOでした。もし、皆さんのなかでNOという方がおられましたら、すぐ改善する必要があります。また、そこを改善すれば、会社はまだまだ伸びしろがあるということかもしれません。皆さんが大切にしたいのは家族だけでしょうか?