滋賀県中小企業家同友会

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2022年度 立命館大学経済学部「キャリアデザイン」講義第5講で青柳 孝幸さん(㈱PRO-SEED 代表取締役)が講義をされました。

共育・求人委員会 その他活動

滋賀県中小企業家同友会と立命館大学経済学部との協力協定に基づいてスタートした同学部2回生対象の「キャリアデザイン講義」(担当:共育・求人委員会)第5講が10月27日(木)16:20~17:50まで立命館大学で開催され、株式会社PRO-SEED 代表取締役の青柳 孝幸さんよりご講義をいただきました。約130名の学生さんが出席し、「地域とともに歩む中小企業~彦根をエンジニアの街に~」をテーマにお話しいただきました。

【自己紹介】
青柳さんは福岡県で産まれ、10歳まで大阪で育ち、横浜の大学に進学しました。そのまま企業に勤めて、起業したのは30歳のときでした。滋賀で起業した理由は、大学を卒業後に入社した設計の企業が全国展開をしていて、配属されたのが滋賀だったからでした。青柳さんの現在のルーツとなったものは、アントニオ猪木氏がプロ引退の際の「この道を行けばどうなるものか。 危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。 踏み出せばその一足がみちとなり、その一足が道となる。 迷わず行けよ、行けばわかるさ。」というスピーチでした。当時大学生だった青柳さんは、このスピーチに大変感銘を受けました。現在では、㈱PRO-SEEDの社訓にもなっています。
㈱PRO-SEEDはシーメンスのパートナー企業として、プログラミングを行っています。主に工場のなかに入っている産業機械のプログラミングを取り扱っていますが、エレベーターや空港の荷物タグの選別機のプログラミングなども手掛けています。最近は彦根市スポーツ・文化交流センターのネーミングライツ権を取得しました。本社1階ではロボット教室を開講しており、ミライ未来ある子供たちにプログラミングの楽しさ、素晴らしさを広めています。

【人生のターニングポイント① 人生の転換期】
プログラマーとして社会を進んでこられた青柳さん。プログラマーを志したきっかけは父親が買ってきたパソコンからでした。当時はまだ家庭用ゲームなどもない時代で、家庭にゲームができるパソコンがあるということは画期的なことでした。パソコンに興味を惹かれた青柳さんはプログラミングを独学で勉強し始めます。ほどなくして家庭用ゲームが発売されると、それを買ってその中に入っているソースコードからゲームを改造して遊んでいました。この頃から青柳さんは、自分は必ずゲームかパソコンの会社で働こうと強く志すようになります。あの時父親がパソコンを買っていなかったら、今の自分はないと振り返ります。

【人生のターニングポイント② エジプト旅行】
青柳さんのターニングポイントとなった2つ目は、大学生の頃に訪問したエジプトでした。当時の青柳さんは、大学の頃の思い出づくりに、とエジプトをはじめ25ヵ国を渡り歩きました。スマートフォンもない時代に自分の知識と地図を頼りに世界を巡った経験は、いつか世界と関わる仕事がしてみたいと青柳さんに思わせるようになりました。この経験がなければ、シーメンス社と取引をすることもなかったといいます。

【日本のこれからと㈱PRO-SEEDのこれから】
青柳さんは最後にこれから学生に伝えたいこととして、自身の夢と夢を叶えるためのポイントをお話されました。

「私はこの素晴らしい仕事をもっと多くの人に広めていきたいと考えています。ロボット教室やアリーナのネーミングライツを取得したのもそのためです。今ロボット教室で学んでいる子供たちが大きくなった時に、『彦根と言えばプログラミングの街だ!』『プログラマー、エンジニアとはなんて凄い仕事なんだ!』と思ってもらえるようにしたい。これが私の夢です。それらを踏まえたうえで、学生の皆さんに伝えたいことが2つあります。それは『夢は逃げない』ということです。多くの方は夢を持っても行動に移さないのです。苦しい現実もありますが、行動し続けてほしい。自分の可能性を潰さないでほしいのです。そしてもう一つは『流れ星に向かって夢を叫ぶと叶う』ということです。受け売りですが、流れ星は一瞬でしょう?それに向かって咄嗟に夢を叫ぶことができるというのは、夢を普段から思っている証拠なのです。どうか皆さんには夢を持ち続けてほしい。」