滋賀県中小企業家同友会

支部活動について-大津支部-

自社の強みを探し出す!できないからどうしたらできるかへ。大津支部2月例会

大津支部 例会レポート

2017年2月23日(木)に旧大津公会堂にて、大津支部2月例会が参加者29名の中開催されました!

報告者は滋賀県中小企業家同友会湖南支部所属の河村 朱美さんで
「下請けからオリジナルへ」~「できない」は「できる」のヒントかも~」をテーマに報告をして頂きました。

古川与助商店は設立から56年目。社長の母方の祖父からスタートされました。
河村さんはバレー選手でもあり、当初はオリンピックを目指しておられたようです。しかし高校3年生の時に骨折され挫折。
そのまま短大を卒業しアパレル関連の会社へ就職をされ、早くも22歳で店長へ昇格。
しかし、23歳の時、仕事のノルマ達成の為に日々の無理が蓄積し、とうとう体調を崩されてしまいます。
その時、運ばれた病院のベッドで幽体離脱を経験。
意識朦朧の中もう死ぬのかな?と思った時、先祖から「体を粗末にするな!」との声が、この時に、河村さんは結果主義ではなく、自分自身を大切にしなければならないと気付かれます。

無事退院し、これからどうしようかと悩んでいた頃、知人に誘われ、インドのネパールへ旅立たれます。
偶然にも、現地の人にバレーを教える機会があり、その時に人々に貢献したいと思いが芽生えられます
そして青年海外協力隊へ志願する事を決意。
しかし、努力も空しく二度目の落選を味わられます。

そういった事もあり、現会社の継承への道へ進むことを決意されます。
しかしここでもたくさんの問題が。
いざ会社へ戻ってみると2代目社長の愚痴を聞かされることが多々あり、ついには家族会議へ発展します。
会議の後、社長を引き継ぐ事を決意そして44歳で社長へ。
早速、先代が無許可で工場増築してきた為に、工場移転をしなければならない問題が。
新工場設置の許可を求め右往左往されるが、なかなか得られず、最後の頼みで同友会へ相談し、その甲斐あったか許可がおり、工場移転が現実のもとのなります。
工場が建った時は、夢ではないかと疑い、何回も頬をつねられたそうです。

新工場完成後は、大手の下請けを主に生産。
順調に受注も増えていっていたのですが、ある日突然中国の会社に情報を盗まれ、下請けの仕事をほとんど中国へ奪われてしまう自体に・・・
売り上げ大幅に減少してしまい、窮地に追い込まれます。
しかし、河村さんはここで諦めずに、逆に仕事が減った事により、考える時間が増えたとプラスに捉えられます。

悔しい気持ちを抱えながらも、時間を使い考え、何か製品化出来ないかを考えられます。
そして、現場にある端材を使い試作品を作ることを初め、自社製品を完成させます。
この試作品に対して予想以上の反応があり、ここで自社製品を作りたいという思いが芽生えられます。

その後、作成した試作品を展示会へ積極的に出展され、たくさんの人と関わりをもち、ついにはロンドンへの展示会へと発展!
この河村さんのストイックなところは見習うべきところがあります。
その後、東京国際展示会に参加され、日本の伝統工芸を残していきたいと活動している国内メーカーと出会い、コラボし、商品を世に出されました。
同じ業界の知り合いと協力し、今では有名な和紙のジャケットを作製されます。

河村さんのこの和紙ジャケットは、多くの人に知れ渡るようになり、今では滋賀県知事が着られるまでに。
河村さんの夢は、このジャケットを2020年の東京オリンピックで採用してもらうとのこと。
東京オリンピックの採用には、30億程かかると言われても、河村さんは諦めません。
東京五輪のユニフォームに向けていろいろな他社の方と協力して目指されています。

最後に… 私が感じたことを書かせていただきます。
①「~かも」と思うのならば最終製品まで作ってみる!=感動する製品を作り出す!=縁が生まれる!
②今ある機械を活用して違った仕事が出来ないか研究すること!
③もう一度自分自身の周りを見直す(人、設備、商品)

共感部分:上記3点は本当に共感しました。製造メーカーとしての課題でやらなければならない事でもあるからです。

④縦糸と横糸
縦糸…自分(頑固に縦糸を張るのではなく、どんな横糸も受け入れますよ~という素直な心で縦糸を張る)
横糸…人との出会い、交流(今あるのは見えてない人々のおかげである!感謝!)

さらなる共感部分:見えていない人々に感謝の気持ちをする。すばらしく共感しました。
記:(株)小寺製作所 K,M