滋賀同友会大津支部6月例会を開催しました。
2019年6月28日(金)、大津支部6月例会を、明日都浜大津4階ふれあいプラザホールで開催いたしました。42名が参加しました。
テーマは「指針経営で極めた人を生かす経営-鉄は熱いうちに打て会社は少人数のうちから指針経営を目指せ―」
報告者は滋賀建機グループ会長で、滋賀同友会最高顧問の蔭山孝夫氏です。
蔭山さんは昭和15年滋賀県生まれ、大学卒業後、大手証券会社勤務後、地元へもどり農機具販売業へ転職します。
「当時は『銀行よサヨウナラ、証券会社よコンニチハ」といわれた時代です。証券会社も、『ノルマ証券』といわれた時代でした。国債や投資信託を扱っていました。大卒で100名くらい新卒を採るのですが、私が退職したときには半分まで減っていました。」
「証券会社を辞めて地元に戻り、中小企業に就職しました。その会社の社長は典型的なワンマン社長でした。儲けたらいい家に住んで、高級外車に乗って、美味しいものを食べ、家族で旅行にいってました。社員が文句を言おうものなら、すぐクビになっていました。」
蔭山さんは、実弟(現滋賀建機グループ社長)とともに、昭和46年、滋賀建機株式会社を設立します。創業当時は、今でいうリースという慣習がなく、建設機器を販売をされていました。販売すれば、修理も付いてきます。修理に出してもらっている間は、機械がなくなるので、機械を貸すことになります。それで、レンタルをはじめられました。
「当時は勉強もしていません。中小企業で儲けたら(先述の社長のような)いい生活ができるんだと思っていました。そういう憧れがあったのも事実です。」
「創業時はおカネもなし、モノもなし、信用もナシのないない尽くしでしたが、お金が無いからやらないではなく、心とやる気と営業力、これが強かったと思います。」
「創業したときには、親は悲しくて泣いていました。大学まで出したのに汚い格好してトラックに乗っている、ということです。」
創業後は日本経済のバブル景気に乗り、売上が伸びます。しかし、当時は経営理念も無く、ただ儲けたらいいという経営だったとのことです。
「当時は景気が良かったから、何をやっても儲かる、という錯覚をするんです。ビリヤード場をやったり、ビジネスホテルを手がけたり。売上5億のときに3億のホテルを建てました。事業がうまく行ってましたから良かったのですが、45歳のときで、良くあれだけやったなと思います。ただ成功しか夢見ていない。それが若さです。」
平成10年、蔭山さんは同友会と出会い、入会。経営者が本音で語り合える会であったことと、故・赤石義博氏の影響を受けます。
「当時はいろいろな会には出ていたのですが、同友会にいきなり参加して、討論に参加しまして、みんな本音で語り合って素晴らしいな、と思いました。」
「赤石義博さんと出会い、1泊の勉強会に参加しました。わからないままにわかった、というところからのスタートです。人間尊重の経営だとか、不条理を超えた条理の経営など、人を大事にする経営をおっしゃっていたのが印象に残っています。事業は人だ、社員の成長なくして会社の成長はない、ということ勉強させていただきました。」
その出会いの後、当時は1泊だった経営指針セミナー(現・経営指針を創る会)に参加されます。
「当時は経営指針を創るのは、大変珍しかった。経営指針書を創り、自社の存在意義、社会的意義を考え、また労使見解での社員はパートナーだ、ということを頭に入れてやっていく。」
「当時は、独りよがりの指針書を創りました。できた、と満足していました。そのときが第2創業だと思っています。ただ、経営指針書を創って発表しても、社員になかなか浸透しないんですよね。当時は社員が100名くらいになっていましたから。これから21世紀型企業の時代ですが、大変難しい時代です。全社一丸となったぶれない経営が大切です。社員が増えますと、なかなか経営者の話を聴いてくれない。」
「経営計画をつくり、経営者の責任を明確にしておかないといけません。経営を維持発展させるにあたり、何を目的に事業をしているのか。」
「景況感的不況と、構造的不況があります。構造的不況のときにはいくらもがいてもダメなのです。その業種自体が落ち込んでいるときですから。それなのに、景況感的に見ていつか良くなるだろう、と思っているとだめになる。経営指針書にある10年ビジョンを創ることも大切です。」
いまや売上数十億、利益数億というグループになった滋賀建機グループですが、経営指針書を繰り返しみなおし、次世代に承継していくということが大事だと蔭山さんはおっしゃいます。
「経営指針書ですが、何回も見直しをかけています。事業承継ですが、同友会の理念を守ってもらえれば、間違った方向へはいきませんので、安泰かなとおもっております。」
数年前に代表取締役会長を退任し、現在は代表権のない会長でいらっしゃる蔭山さん。そこには次のような思いがあります。
「代表取締役社長と代表取締役会長がいまして、会長でも代表権があるのでちょいちょい口を出すんです。そうなるとややこしいので、代表権をとり、ただの会長になりました。引退後の経営者を分類しますと、①引退後も会社に来て口を出す人、②引退後には会社に出ず趣味に没頭する人、③引退後に社会貢献をするひと、そして私は④引退後は子どものような会社に出ることがうれしくて会社に出るが、口を出さない人、です。さびしいのですが、社員の誕生日にケーキを贈ったり、20年継続しているおはようメールを打ったりしています。」
報告後のグループ討論では「同友会で学んだことをどのように生かしていますか?」というテーマで、グループ討論を行ないました。蔭山さんもグループに加わり、実りある討論が出来ました。