12月13日(水)18:00から21:00まで高島支部12月望年例会がお料理・仕出し川新さんにて20名が参加し盛大に開催されました。
報告者は中村石材株式会社の代表取締役中村真人さん。
テーマ:結構すごいぞ高島の歴史!
サブテーマ~深い歴史を持つ高島の地 先人たちの商売にかける思いを現代の経営者にお伝えします~
と題しまして、石屋が教える高島の歴史の報告がありました。
創業は安政元年の中村石材さん、石屋は歴史に関わりが深い業種であり、また氏も歴史が好きで興味があり高島のことを調べられているとのこと。
まず高島市の地理的な説明から、水運や陸路が関係していることや、広大な山林や安曇川河川を活かした活動を先人たちがされていたことを知りました。
世界最古の天皇家において、確実で神話でないと分かっている最初の実在されてた第26代継体天皇が高島市安曇川町の出身であることや権力者が地名の残っているなどの説明があり考古学的にも重要な史跡や資料が残っていると知りました。
地理的な観点から京都や奈良に物資を運ぶ際に、海産物なら表の海の日本海(若狭湾)からの要所が高島市であり、広大な山林がある高島市から木材を運び出すために安曇川河川からびわ湖を通り京都やその先の奈良には淀川や木津川を経由し水上運搬をされていた先人たちのことを学びました。
物流が盛んであったことから武士から商人になり、高島市出身の有名な人物も近江商人の中にいることを説明されていました。
その近江商人の中で最も早くから活躍された商人が高島商人であり、岩手県で商いを成功させた村井新七(恥ずかしながら私は知りませんでした)という方で、また小野氏も有名だと知りました。小野氏は後に財閥となった小野組のことだそうです。
学問については高島市出身の近江聖人 中江藤樹氏が日本で最初の私塾を開き、陽明学を日本で初めて説いたことで知られています。
知行合一、致良知、五事を正すなどの教えも有名で、私も五事を正すは特に心がけています。
また、前述の高島商人と同時代に活躍されていることも何か意味があるように感じられます。
中江藤樹先生の教え、村井家の家訓、近江商人の三方よしは現在でも高島市の財産と中村氏は言われ、人間性や人間教育が代々受け継がれていると締めくくられました。
高島市の人々には現在もその教えがDNAとして受け継がれているし、同友会の人を生かす経営と通じる考え方があると感じられました。
その後、高島支部会員の親睦を深め、今年の頑張ったことや新年に向けた抱負を語り合いました。
記、川原林