滋賀県中小企業家同友会高島ブロック2月例会ご報告
日時:2020年2月12日(水)18:30-21:00
会場:高島市観光物産プラザ
参加者:23人
記録:出口 大輔 (株)アドパック工場長
まず初めに、今回の高島ブロックでの例会では、同友会に入会しておられる報告者様では無く地元高島市で、地場産業の未来を見据えて挑戦し続けて来られた、株式会社杉岡織布 代表取締役の杉岡 定弘氏をお招きし、お話し頂きました。
最初にお話し頂いたのは自身のご紹介を頂きました。
杉岡社長は東京都の大学を卒業後、愛知県の織布関係の仕事に就職し26歳の頃に高島市に戻って来られたそうです。帰って来た際には、撚糸業界の閉鎖的な感じや、同年代の少なさ、ベテラン人たちの強かさを感じられました。
その当時は、社長である父親が外で仕事を取ってきて、杉岡さんが中での業務をこなしている状態で父親の言う事を聞いていればなんとかなると考えておられましたが、このままではいけないと考えを改め、自身が外に出るようにされたそうです。
外を知る為の中国への研修、地域を知る為に商工会青年部に入り、40歳になったらこうありたいと考えたメモを書きとめ考えてきたこと、経験してきたことを仕事に活かそうと努力しておられました。
次に、自社製品でもあり地域ブランドでもある「高島ちぢみ」のご説明をして頂きました。
「高島ちぢみ」とはなんなのか?その定義とは?歴史は?なぜ高島市でちぢみが生まれたのかを詳しくご説明頂きました。「高島ちぢみ」の定義は「高島産地の機屋により撚糸を用いて製織され、高島晒協業組合で・晒・染・捺染加工を施された記事」といった定義でした。
「高島ちぢみ」は江戸時代から作られ、農業が盛んだった高島の農家の副業として始まったそうです。また、川の付近の湿度の高い場所は撚糸の性質に向いており、高島の地場に適していた為発展したそうです。
昭和47年頃には560件の撚糸工場があり、撚糸で栄えた街でしたが、現在は35件程度となってしまったとお話しされておりました。
そういった経緯をもった「高島ちぢみ」ですが、国からの商標登録の認可をもらっておりこれは商売をするにあたっての強みであり、大変ありがたい事だともおっしゃいました。
続いて、生産の仕組みについてお話しされました。経糸、緯糸のご説明を頂き、緯糸に関しては「1mの間に1000回のひねり」を入れた物を高島ちぢみとして使用しているといったお話は地場発信の製品を知る上で、大変興味深いお話しでした。有名な「糸」の楽曲を思い浮かべた人も少なくないと思います。また、自社の写真を開示頂き、加工工程についてもご説明頂きました。そういた経緯を知る上で、高島ちぢみの流通と変化を元に自身が対応してきた事、挑戦してきたことをお話しされました。商流が変わってきたと感じた時と、その対応を以下にまとめさせて頂きます。
1回目の商流の変化
変化)1994年頃、中国製の生地が増えてきた時
対応)品質を向上させ、得意先との面談を増やして、日本製の良さを訴える
2回目の商流の変化
変化)2000年頃、中国など外国で縫製業者が増えてきた時
対策)高島晒で生地加工をしたものを、海外に輸送する方法を増やし対応させる・生地だけでも使用されるように考える
補足)この頃はギリギリの状態で、ほぼ無策に対応した状態だった。杉岡社長自身、父親が正しいと思っていた時代
3回目の商流の変化
変化)2020年頃ファストファッションの台頭
対策)安価な生地と差別化をする・ファストファッション向け以外の用途で生地作りをする補足)当時、安い物しか売れなくなる時代に突入。この頃、父親の言う事に疑問を持ち始める。疑問を持ち始めたことで、自分自身が動き始める事になる。
対外的にはホームページでの販売体制を拡充させたいと考える
対内的には、パソコンを導入し、生産管理、帳簿管理、給与管理をしIT化を進める。
結果、作業効率の改善、管理体制の整備が進み、得意先からの「信用」を得られる事となった。
この事が、きっかけでITを利用していけば何とかなるのではないか?と思い始める。
4回目の商流の変化
変化)2006年頃、ネットでの販売手段が増えてきた時代
対策)自社で縫製品販売までてがける・ネットで販売している得意先を増やす
対外的には3回目の変化の頃に手掛けてきたホームページでの発信をきっかけに2008年頃から顧客が増加
ホームページをきっかけにTwitter、Facebookとの連携を強化しブログも更新するようになる
また、2012年からAmazonジャパンでステテコの販売を開始し、ホームページでの販売体制を開始
5回目の商流の変化
変化)2014年大きなブランドがアパレルを撤退したり、百貨店の不況が深刻化した時
対策)「高島ちぢみ」を販売する層を考えて販売する・需要を増やす努力をする
売り上げが悪くなる要因を洗い出す事で、自社の「弱み」に気づく事が出来た。
対外的にはホームページからの問合せが増加し8件~10件だった顧客が25~30件に拡大
また縫製品販売を手掛け、WEB上でも販売する事で売り上げも増加
最終縫製品を持つことにより最大の広告サンプルになるようにする。
在庫になる事はつらいが「良いものを創る」姿勢を示せる最大の武器と考える様になる。
6回目の商流の変化
変化)2015年から中国をはじめ、アジア諸国の方が日本より好景気であり、衣服購入額が高い感覚を感じた
対策)海外での販売を増やす努力をする
市や国との連携を深め海外への進出を行い、展示会やワークショップを開催する。
そういった事を実行し続ける事により、色々な人に目が留まり、無印良品での販売など、実を結ぶ事となる。
なかなか実は結ばないけれど、海外に行く事だけを目的とせず、実行し続ける事が大切とおっしゃいました。
今後の課題
地域での活動が深まる度に業界内の考えが気になるようになっていく。
「市内の情報」「市内の人脈」は不要?本当にそうなのか?
自身で見極める必要があると考え、まずはしっかりした会社にしようと考える
業界の情報を漏らさない事も大事だが、広告も打たず、マスコミにも出ないという事にも疑問を持ち、得た情報は前向きに公開し、マスコミに出る機会を増やす事にする。
それに従い、補助金の獲得、同業他社への情報伝達をすることで、地域貢献を意識し始める。
上記の事を踏まえ、経営面、製造面双方での改革を考える。
〇経営陣が現場に近づく為に、工場内に事務所を移動
〇働く人の為に、従業員トイレ・休憩所の新設
〇労働規約の見直しと明文化
結果・・・従業員を3名新たに雇用、会社への来客が増え
「第9回滋賀CSR経営大賞、ベストプラクティス賞」受賞
「平成26年度滋賀県先進的ITハンドラー、審査員特別奨励賞」受賞
など、様々な賞を受賞する事となる
賞を貰える事は、結果でしかないが、自社の場合、そういった意識を持って、まず行動したことが大事だったとおっしゃいました。
将来的なビジョン
ブランド+自社製品の販売をすることで、生地だけの販売をしていた以上の認知度を獲得できた。
今後は、ネットのお客様を拡大し、量販店に並ぶ生地の増加を目指し、かつ、地元のお客様にも「地産地消」の効果を生み、身近な企業として応援して頂ける企業でありたいとおっしゃいました。
決して大手SPA製の製品や、高級ブランドではない高島ちぢみを買い求められる姿にこそ地域ブランドの今後のあり型へのヒントがあると感じておられるそうです。
また、ファンを増やす工夫も色々とされており、新しいロゴを考えたり、ブラインディング発表を行われたりと、地域ブランドとしての自覚を持って、色々な事を続けていく事が大切だと感じているというところで話を締めくくられました。