滋賀県中小企業家同友会

支部活動について-高島支部-

下意上達の組織~社員さんが主体性を持ち、活躍する組織とは?~高島ブロック10月例会

高島支部 例会レポート

高島ブロック10月例会が2022年10月19日(水)18:30~20:30かで可以登楼別館(今津駅前)で開催され、20名が参加しました。

(司会)伊藤
(開会挨拶)北川さん
(参加者紹介)
ゲスト
・株式会社桑原組 勝井秀輝さん
・高島地域雇用創造協議会 轆轤朝美さん
・近江ユニキャリア販売株式会社 岡村祐輝さん

(報告)株式会社ビイサイドプランニング 小森俊彦さん
テーマ「下意上達の組織~社員さんが主体性を持ち、活躍する組織とは?~」

本題に入る前に、余談ではありますが、先週3年ぶりにベトナムへ訪問した際、あまりの物価の変動に驚いた。それは7月にインドネシアに訪問した際と同じ衝撃で、物価の水準があまりにも上がっていたこと。ベトナムのビッグマックは1個420円とついに日本の価格を超えた(日本は410円)。その他、スタバのコーヒーも、ドーナツも、日本の価格を上回っていた。
さらに、ベトナムで出店している日本人のお店も、売上は日本の4割でもいい。4割売り上げれば日本にいるときと同等の利益が出る。つまり、4割の力で日本にいるときと一緒の経営が可能となる。 海外で実際に現実を目の当たりにするなかで、いかに今の日本がヤバいかを実感した。

自己紹介として、今のビイサイドプランニングには2000年入社。当時は派遣社員での入社であった。派遣の中でも、少し前に入った先輩派遣社員(チェキポン創作の人、その後素行が悪く退社)の補欠での入社。当時はフォークリフト作業やその他作業がメインであった。家族は2人の子供を持つ4人家族。八日市在住。

会社の事業は、人材派遣、広告・求人メディア、介護と医療の外国人人材斡旋であるが、「人が採用出来ない」という悩みを多くの企業が抱えている。それもそのはず、2000年から2030年の30年間に、労働力人口は400万人も減る(滋賀県人口全体の3倍)。さらに、昔はシンプルだった採用プロセスがとても複雑になった(広告系・人材系・自社系など様々な業態の人材斡旋業者が乱立)。
さらに最近は、「リファラル採用」というような、社内で行う知人紹介のシステムも取り入れた企業も出てきた。採用コストを社員の収入にするしくみ。
何が良いか分からない企業経営者が、人材の採用に苦慮している現状が有る。

私が考える、人が集まる会社とは、入社希望の人材が「ベネフィット」を感じられる採用をしている会社。
雇用条件などの、入社時点の入口だけではなく、入社した後の自分の将来像を描けることがとても大事となっていると考える。この会社に入社したなら、3年後、5年後にどんな自分の将来になるだろうとイメージできるような会社を発信しなければ、人が集まる会社とはならない。どの企業も「メリット」だけでなく「ベネフィット」
を伝えなければならない。

今は代表取締役になりましたが、かつてはそうなることは考えておりませんでした。
社長となるきっかけは、同友会にあります。
かつて同友会の中堅社員研修に参加して討論をしている中でも、自分はなんとなく社長になりたくて、ビイサイドプランニングはその踏み台としてやっていると発言して、同友会メンバーからはそんな不遜な発言にとまどいを与えていました。
そういった研修をしながら、ある日に研修のディスカッションにおいて、どういった会社にしたいですか?というやりとりがありまして、いろいろ細かなことまで聞かれて一生懸命答えていた自分のコメントに、あるサブグループ長が私にこう言いました。「それって(あなたが思い描いているビジョン)はビイサイドさんのことですよね?」
このやりとりは自分でもハッとするものがありました。自分は、ビイサイドでの仕事を常にイメージの基盤にしている。

そんな中、自営業である親父からの創業の誘いも断りました。特段大きな理由も伝えず、なぜか自分ではないだろうと断りました。

経営者になることもなく、平社員として同友会では多くの活動に参加し、青年部の活動ではいつも多くの経営者と過ごす時間がとても楽しく、副幹事長にも抜擢されました。
そして、兵庫県青年部との関わりの中で、大きな学びを得ることが出来ました。
兵庫県青年部では、なぜか多くの経営者から説教をされました。
間違ったことを言ったとき、全員から「それは違うだろう」と言われたことは
とても当時は傷つきました。「同友会活動は、経営と同じ表裏一体」が出来てませんでした。
さらに、ビジネスモデルの構築の大事さ、赤字時には同友会には参加しない、さらには自分が居なくなったとしても社員やお客様が困らない経営体制の構築の大事さなど、経営者には学び続けなければならないということも、教えてもらえました。

そんな中、2017年に血縁のない先代の永田社長より事業承継を行いました。
当時は、「みんながハッピーな事業承継」という名前の事業計画書を作り、先代の金融機関の個人保証も自分に付け替え、承継しました。
2017年に社長となりましたが、2016年に金融機関に上記の事業計画書を持ち込みプレゼンした際に、金融機関担当者にこう言われました。「正気の沙汰じゃない」。

それもそのはず、ビイサイドプランニングは2016年、3000万円の赤字。
売上は、2007年に5.7億円であったものが2016年には3.5億円と激減。
さらには業界の将来性は半減というデータもある。金融機関からは「ビイサイドさん、終わってますよ」と言われた。今まで、責任というものを捉え違いしていたようだ・・そしてダメ押しにコロナ禍がやってきた。売上はさらに減少した。
赤字は数千万円。書きたくもなかった事業改善計画書を書くこととなった。
先代の永田さんの株式比率は永田60:小森40だったが、2027年の全株取得計画を前倒しして、2020年5月には全株を私が取得することとなった。
名実ともに、私がこの会社の決定権を持つこととなった。
絶望的な状況の中、自分の状況と会社の状況を棚卸しする必要があった。
プライベートでは、自分の2人の子供に、将来、大学は自力で行ってもらう可能性を伝えた。会社では、やらないことを決めた。

2つの事が見えてきた。1つ目はリーダーとして勘違いしていた自分に気づき、永田さんとの比較をすることを止めた。2つ目はやりがい搾取的なものを無くし、元気の強要、やる気の強要、幸せの強要をやめようと思った。
そこから、下位上達という言葉がそのときの気持ちにしっくりと来た。

経営指針書にのっとり、今までのいろんな重いものを捨てていくことにした。
元気無くてもOK、会社も来なくてもOK、遅刻や早退もOK、休職OK、勤怠連絡もチャットでOK、給与・待遇・人材採用も自由、休みは年間124日+有給5日。
夢も持たなくても良い。努力は正しい方法で行う。精度よりスピードを大切に。

こうすると、PDCAがおそろしくぐんぐんと回り、ビジョンを語る社員が出てきて、採用と教育が勝手に進んだ。月給も20代女性で40万円超えも現れ、パート時給は1450円になった。
そして、今期は過去最高益となった。社員が自分で考え、行動していることは嬉しかった。

多くのことを自由にしたが、社内がバラバラにならなかったのは、2020年に考え方の醸成を盛り込んだ、生きた指針書を作ったことによります。
1 不必要なものを省き、心と体を軽くするもの
2 正しく理解できるもの
3 会社の将来が、自分の将来とどう繋がっているのかを見れるもの
2020年に、自らが追い込まれたとき、重い荷物はどんどんと捨てようと決めた。

会社は心の拠り所で、居ても良い、何でも話して良い、心理的安全性のある
そんな会社にしたいと思った。

人にかまけ続け、ひとりひとりのベネフィットを尊重し、チャレンジし続ける
チームを作る。そんなスタートラインにようやく立てた気がします。

(補足報告)小森さんより
(連絡事項)
・高島ブロック11月オープン例会の案内・・・北川さん

・東近江市部11月BIG例会の案内・・・嶋田さん、小川さん
・大津支部11月BIG例会の案内・・・出口さん、加賀山さん
・青年部10月BIG例会の案内・・・出口さん
・第45回経営指針を創る会の案内・・・加賀山さん
・高島支部設立総会の案内・・・田下さん
・高島地域雇用創造協議会の案内・・・轆轤さん(ゲスト)
(閉会の挨拶)田下さん